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宇都宮家庭裁判所栃木支部 昭和43年(家)601号 審判 1968年8月01日

申立人 矢島進一(仮名) 外一名

相手方 長野英雄(仮名)

主文

本件申立はこれを却下する。

理由

一、本件申立の要旨

(一)  申立人らは夫婦で遺言者亡矢島トリの相続人である。矢島トリ(明治二一年一月生)は昭和四三年一月二九日八〇歳の高齢で死亡した。

(二)  右トリは同人所有の別紙目録記載の建物を昭和三五年四月五日宇都宮地方法務局所属公証人引間米市作成昭和三五年第二四五号遺言公正証書によつて相手方に遺贈し遺言執行者として井上一男を指定していた。

(三)  右遺贈は遺言者が死亡した後の遺言者の祭祀は右受遺者である相手方がこれをなすよう義務を課した負担付遺贈である。而して遺言者トリは前記の如く死亡し右遺言は効力を生じた。

(四)  右受遺者である相手方は右遺贈の目的物である右不動産につき昭和四三年二月二二日付所轄登記所で所有権移転登記手続をなし遺贈を原因として自己に所有権を移転したが前記負担した義務はこれを履行しなかつた。

(五)  そこで申立人らは民法第一〇二七条により昭和四三年三月一二日付内容証明郵便を以て右到達後七日以内に合計金二三万〇、八四〇円の葬式費用を申立人らに支払いもつて前記義務を履行するよう催告し右は翌日相手方に到達した。しかるに相手方は右義務を履行しないので前記遺言の取消を求めるため本件申立におよんだ。

二、相手方の答弁

申立人らの本件申立の動機は相手方が死者トリのため同人の生前何らの面倒を見てやらないのに本件の建物の遺贈を受けトリの葬式費用の負担をしないのは義務違反であるというにある。右は事実に反する。

(一)  トリは若い頃から病弱で同人の夫吉之輔は経済事情が思わしくなくそのため相手方の父(トリの兄)から多大の経済的援助を受けていたし幸一が昭和二三年一一月死亡後同人らは相手方を唯一の肉親者として頼りにしていた。

(二)  申立人進一は養父吉之輔の実弟であるが申立人夫婦はトリの意思に反して吉之輔、トリ夫婦の養子とはなつたものの当初から養親とは別居しており従つてトリとは平素親子としての精神的、感情的つながりがなかつた。

(三)  右のように申立人らはトリの遺産を承継することを唯一の目的としてトリ夫婦と養子縁組をしたものであるがその後トリとは全く親子としてのつながりがなくトリが遺産の一部を相手方に遺贈し祭祀を相手方に託する旨遺言したことは肉親として自然なことである。

(四)  本件は負担付遺贈ではない。

本件公正証書末尾に「遺言者が死亡した後の遺言者の祭祀は受遺者である長野英雄(相手方)にお願いする」と記載されているだけでこれは遺贈に付した負担と目すべきではない。仮に負担であるとしても右は専ら道義的、精神的な死者の祭祀をなすべきものであるから民法第一〇二七条所定の義務を課したものではない。

(五)  仮にそうでないとしても

(イ)  相手方はトリの葬儀に列し香典三、〇〇〇円を申立人らに交付したほか四九日の供養および百日忌を矢島家累代の墓地のある天翁院で行い塔婆を立てまた位牌を自宅に作り祭つている。

(ロ)  また葬式費用は相続人がその相続分に応じて負担すべきものでありまた喪主に贈られた香典は第一次的に葬式費用に充当すべく本件の場合香典が約三〇万円集まり葬式費用は合計金二三万〇、八四〇円を要したにすぎないから相手方は少しも葬式費用を負担すべき義務がない。ただ相手方は徳義上香典の不足分を負担することを申出でたが申立人らはこれを拒否した。

三、当裁判所の判断

記録に編綴の書証と申立人矢島進一相手方長野英雄各審問の結果によれば被相続人矢島トリは昭和三五年四月五日宇都宮地方法務局所属公証人引間米市公証役場において遺言公正証書を作成しその中で同人は本件建物二棟を相手方に遺贈するとともに相手方を被相続人方の祭祀を主宰するものに指定したこと右トリは昭和四三年一月二九日死亡して相続が開始し申立人らが相続人となりまたこれにより右遺言がその効力を生じその結果相手方は右建物につき昭和四三年二月二二日付遺贈を原因として所有権移転登記をなしたこと相手方は被相続人トリの甥ではあるがその相続人ではないこと右トリの相続人は申立人夫婦のみであつて同人が生前有していた財産は同人が亡夫吉之輔から相続した持分三分の一を有する申立人夫婦との共有地一二五坪と本件建物二棟およびその敷地四五坪に対する借地権とであることを認めることができる。

思うにかように祖先の祭祀を主宰する者と指定された者は死者の遺産のうち系譜、祭具、墳墓のように祭祀に関係あるものの所有権を承継する(民法八九七条)ことがあるだけでそれ以上の法律上の効果がないものと解すべきである。すなわちその者は被相続人の道徳的宗教的希望を託されたのみで祭祀を営むべき法律上の義務を負担するものではない。その者が祭祀を行うかどうかは一にかかつてその者の個人的信仰や徳義に関することであつてこれを行わないからといつて法律上これを強制することはできない。従つて受遺者が偶々祭祀を主宰する者に指定されたからといつてこれを負担付遺贈を受けた者とすることはできない。また祭祀を主宰する者と葬式費用負担者とは別個の観念であつて必ずしも一致するものではない。葬式費用は何人がこれを負担すべきかにつき法律の規定はないがこれはその地方または死者の属する親族団体における貫習若しくは条理に従つて決定さるべきであつて概ね共同相続人がその相続分に応じて負担するのを通例とする右によれば相手方は受遺者ではあるが包括受遺者(民法九九〇条)ではないから相続人と同一の権利義務を有しないこと勿論であるので葬式費用を負担すべき義務のないこと明らかである。

従つて相手方が祭祀を主宰する者として負担付遺贈を受け葬式費用を支弁すべき義務あるに拘らずこの義務を尽さないことを原因とする本件遺言取消の申立は失当として棄却を免れない。

よつて主文のとおり審判する。

(家事審判官 西口権四郎)

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